感動のお話・。・。・

Ritzko

2010年01月21日 08:57

息子が学校から持ち帰ってきた『芽ぶき』(沖縄市PTA連合会新聞)に、ものすごく良いお話が記載されていました。

こういうお話こそ、たくさんの方へ知ってもらいたいなぁと思いました。

私のブログを通して たくさんの方々へ広められれば嬉しいですので アップします!!

ず~っとアップしたかったことその②です



※ハンカチをご用意ください。


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『招待状』

ある小学校で良いクラスを作ろうと一生懸命な先生がいた。その先生が5年生の担任になった時、一人服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり、皆が手を上げて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。

先生はどうしてもその少年が好きになれず いつからかその少年を毛嫌いするようになった。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

あるとき少年の1年生の記録が目に留まった。そこにはこう書いてあった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。弁口も良くでき将来楽しみ。」とある。
間違いだ。他の子に違いない。先生はそう思った。

2年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。

3年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて教室で居眠りをする」
3年生後半の記録には、「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる。」とあり、
4年生になると、「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走った。

だめだと決め付けていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?わからないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手を挙げた時、先生に大きな喜びが沸き起こった。少年は自信を持ち始めていた。

6年生で先生は少年の担任ではなくなった。

卒業のとき、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから六年、またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらってとても幸せでした。おかげで奨学金ももらって医学部に進学することができます」

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と、父親に叩かれた経験があるからこそ、感謝と痛みのわかる医者になれる、と記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生のときに担任してくださった先生です。」

そして一年、
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母親の席に座ってください。」と一行、書き添えられていた。
先生はうれしくて涙が止まらなかった。

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こうしている時も 私もまたまた号泣です・。・。・

このお話は、市のPTA実践発表大会で司会の方から紹介されたあるブログのお話だそうです。


この新聞で記事を紹介したかたの最後のコメントには、
「日本中の先生に読んでもらいたいですね、日本中の大人によんでもらいたいですね。
だめな人間なんていない、可能性のない人なんていない、僕達大人がダメだと決め付けてしまう考え方があるだけで・・・。わくわく全開!可能性を信じて!」
と締められていました。

本当にそうですね。・。。。・。・。・私達大人の考え方、言葉、接し方が 子供にどれだけ大きく影響することか・。・。・

本当に身に染みて感動したお話でした・。・。

たくさんの方がこのお話を読んでもらえたらいいな・。・。・






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